上映会『日記映画 -ジョナス・メカスとナサニエル・ドースキィ』

2010年9月10日、11日、18日。
日記映画 -ジョナス・メカスとナサニエル・ドースキィ


渋谷イメージフォーラムシネマテーク
ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶」(11日/18日)と
『ロスト・ロスト・ロスト』(11日)の上映がある。



ジョナス・メカスは日記映画というジャンルを作り上げた
NYのアンダーグラウンド映像作家。


身の回りの事象を日記を綴るようにフィルムに焼き付けたメカスだが、
その映像にある光と色の揺らぎは本当に魔法のよう。



母国リトアニアを占領したナチスへの抵抗運動に加わったメカスは
捕らえられ強制収容所送りとなるも、収容所を脱走。
1949年、ニューヨーク・ブルックリンに辿り着く。


そして、小さなリトアニアコミュニティの人々を
借金して手に入れたボレックス16ミリカメラで撮り始める。


言葉の通じない土地で、カメラは彼の言葉となった。
この時、メカス27歳。


ハリウッド的映画産業に強烈なアンチを唱えたメカスは
作品制作と平行して『ヴィレッジ・ヴォイス』誌で映画評を連載。
非商業的映像表現への情熱にみなぎる筆は、
若き映像作家を見いだし、擁護し、力づけた。



それらは『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959-1971
(フィルムアート社)にまとめられている。



メカスにならって27歳で8ミリカメラを買った自分の過去はさておき
「例えピントがあっていなくても、それが君の個性だ」と言ったメカスは
自分を勇気づけてくれたヒーローのひとり。

映画『ソウル・パワー』


1974年。ザイール/キンシャサ


モハメド・アリジョージ・フォアマンによる
世紀の一戦にあわせて開催された音楽祭「ザイール'74」を
収めたドキュメンタリー映画




『ソウル・パワー』オフィシャルサイト


速射砲のようにアジテートするアリ。
相変わらず本物のうさんくささを醸すドン・キング
ギラギラのエナジーをマグマのように沸かすJB。



スクリーンを覆う躍動するリズムの裏には
人種差別など、重いテーマが広がっている。


しかし、JBの常人離れしたテンションを浴びると、
とにかく力が沸いてくる。


JB曰く「映画館を出たら言え。俺たちはれっきとした人間だと」。

吉田喜重「煉獄エロイカ」


構図から、カメラワークから、
登場人物の表情から、
もう何から何までキメキメの
かっこいいカットをひたすら積み重ねた
吉田喜重監督作「煉獄エロイカ」。


1970年のATGもの。


物語は革命愛憎青春始末劇で、
かつディスカッション劇というものなので、
好みは分かれるところ。


だが、ストーリーなんてどうでもよくなるほど、
全てのシーンがいかしている。


このスキのなさを生んだ集中力は恐るべし。


吉田喜重「煉獄エロイカ

MOGWAI「Burning」爆音上映


吉祥寺のバウスシアターで7月9日と16日に
MOGWAIのライヴドキュメンタリーが爆音上映。


ヴィンセント・ムーンと
ナサナエル・ル・スクアーネックによる
共同監督作品。




最近はすっかり音楽と映像の関係が変わってきている。


1981年8月1日。
MTVが最初に流したミュージックビデオは
バグルスの「ラジオスターの悲劇」。


Buggles「Video Killed the Radio Star」


このオンエアをもって多くの音楽は
ラジオに背を向け、テレビと手を結んだ。


ミュージックビデオは
プロモーションツールとして画期的だった。


しかし30年経った今、役目を終えようとしている。
それは、MTV文化の終わりということ。


CDの音源にあてぶりしているだけの映像は
だんだんと力を失った。


敏感なカメラは今、
もっと生々しい音楽の姿をとらえようとしている。


音の向こう側にある人間の内を、
その人間が音を発する瞬間を、
とらえようとしている。


演る側も撮る側も自分を問われる大変な作業だが、
出来上がった映像はスリリング。


MOGWAI「I'm Jim Morrison, I'm Dead」filmed by Vincent Moon